必ず誰かが見てる|人を応援していたら、人に応援されていた 応援家・ヒデさん

「ヒデさんって、何してる人なんですか?」

取材前から、ずっと思っていた。
だって坂本秀和さん(以下、ヒデさん)の活動は多岐に渡るから。

・“ごまで世界平和”を広めている人
・手話活動を応援している人
・映画上映会を開催している人
・イベントを企画している人
・台湾進出を目指している人

全部繋がっているような、でも繋がりがわからないような。
そんなことを考えながら取材を始めた。

プロフィール

サンシャインマン企画・坂本秀和さん

1970年生まれの“ごまで世界平和”を掲げる、『なかつ胡麻人(ごま専門店の販売代理店)』のセサミマイスター
2025年には手話パフォーマンスグループ『OiOi』をはじめとする仲間とともに、大阪万博へのライブ出演を果たした。
また、『You are the MAN of the Year sunshineman project』の主催をするなど、一見バラバラに見える活動の根底には、「目の前の人を応援し、幸せにしたい」という一つの想いがある。
自分が前に立つよりも、誰かが輝く景色を見ることが好き。
現在は、ごまを通じた健康づくり“杵臼文化”を世界へ伝える活動台湾進出など、新たな挑戦を続けている。

目次

ヒデさんの“はじまり”

ヒデさんは、ほんとうに優しい方である。
と、抽象的に表現するのには理由があって、ヒデさんのことをよく知らなかったときに初めてお会いした時も、彼の表情はやわらかく、どこか優しかった。
低姿勢で、とても人に気を配ってくださる方で、表情が柔らかくて。
そんな彼が、さまざまな「人を応援する活動」を始めたきっかけについて伺った。

最初はお金持ちになりたかった

みかんちゃん

昔はどんなお仕事されてたんですか?

ヒデさん

高校卒業したあと専門学校へ行って、そのあと社会人になってホテルマンしてたよ。
そこから英語や海外に興味を持ちだして、ロンドンへ行ったね

なんか、めっちゃ“夢を追いかける若者”って感じですね。

うん、そんな始まりやったなあ。バックパッカーとか言って、いろんな人と喋ったりして日本に戻ってきて。
いろんな仕事してきたけど、最初は「有名になりたい」「お金持ちになりたい」「そしたら、もっと友達や周りの人を助けられる」って思ってた。

留学時代、イカしてたヒデさん

人を助けたい気持ちが強かったんですね。

人の力になりたいっていうのはあったかな。
ちょうどその頃Facebookとかが出だした頃で、ダイレクトに代表取締役の人にメール出せるんやと思って、とにかく成功者の話を聞きに行ったんよ。
そこで、ある人と出会った。

どんな人だったんですか…?

その方にすっごい怒られたんやけど。
「君がやろうとしてることは、お金持ちになることはちょっと頑張ったら誰でもなれる。
そんなんよりも、もっと“世界中の人を幸せにしたい”とか、もっとアホなことしろ」って。
「誰もが言ってることを言ってもあなたの話を聞こうと思わないし、誰もあなたには興味がないんやから、世界を標準にしておもろいことしないとあかん。」ってこと言われたのが残ってるわ。

人の役に立ちたい、の原点

みかんちゃん

それにしても、人の力になりたいって自然に思えるのは素敵ですね

ヒデさん

僕、子どもの頃はサッカー少年で、ゴールキーパーしてたんよ。

えっ、サッカーと人の役に立つのって…?

あれ、今考えたらな、自分が忙しいってことはチームがピンチなんよ。
逆に自分が暇になると、みんなが輝く“勝利の時間”なのかなと小学生ながらに思ったりしてて、それが素直に嬉しかったなーって。
そこが僕が人の役に立つ原点やったんかもしれんなあ。

そう考えると、人の役に立てる喜びが自分の喜びだったんですね。

そうやね。海外行って「俺はできるぞ」みたいな感じになったけど、何もできひんのも経験した。
でもそれを経て、“目の前の人を喜ばしたい”って思ってきたかな。
使命感を持つことで相手にも喜んでもらえるし、自分も祝ってもらえるような気持ちになるし、祝ってるような気持ちにもなるし。

それこそ、“場づくり”を人のためにも自分のためにもやってきたんですね。

そうやな。それも、資金があったら「お仕事手伝ってください」ってアルバイト雇えばいいけど、僕はそうじゃない。
お金がないなら熱く自分の想いを語って、本気で動き続けるしかない。
そうやって僕が一生懸命やることで、信じてもらうしかないんよね。

人のために一生懸命動けるのは本当に素敵だと思います。

いや、本当にすごいのは僕じゃなくて、付いてきてくれる人の方がずっと素敵なんよ。
だから僕は早く成功しないとあかん。
目の前の人を幸せな気持ちにさせるのが使命だと思ってるし、その積み重ねが10円にも100万円にもなる
結局、最後は人を幸せにした分だけ、未来は返ってくるんやなって。

僕よりも、目の前の人が“サンシャインマン”

みかんちゃん

そういえばヒデさんって『You are the MAN of the year sunshineman project』っていう表彰を毎年やってますよね。
その表彰企画はいつからスタートしたんですか?

ヒデさん

あれはね、サンシャインマン企画ができた頃なんで、氷屋さんで働いていた20代後半頃(30年近く前)かな。

氷屋さんって、200キロくらいある氷を6人ぐらいで小さい形になるまで整形していく肉体労働でな。
ちょうど僕はその頃、友達と共同で自分らのバンドTシャツを作ってたんや。
デザインは僕がやったんやけど『Sunshine man』って書いて太陽のモチーフやった。

初代サンシャインマンTシャツ

その頃から副業でデザインをやってたんですね。

と言ってもその頃はまだ稼ぎというより遊びやったんやけどね。
それで、本業の氷屋さんの親方でかっこいい人がいて、汗シミだらけのシャツも「お前労働者の証やから見せびらかして帰らんかい」って言う感じの渋い漢で。
その親方は、「着るシャツは何でもええ」って言うもんやから、僕のバンドTシャツ着てもらったんよ。

渋い漢が太陽のシャツ着てるの面白いですね(笑)

親方は、ほんまに仕事着なんて何でもよかったみたいで、毎日それ着て仕事してくれてたんやけど、実は難波でめちゃめちゃ顔の広い有名人なんよ。
それで、「そのTシャツどこで売ってるん?」「俺も欲しい!」っていう人が次々現れて、知らん間に商売になってた(笑)
だから、僕は彼に商売というものを教えてもらった気がするわ。

サンシャインマン企画の原点ですね!

そうそう。それをきっかけに僕が街で「おお、サンシャインマン」って言われるようになって(笑)
もう20年ぐらい前かな。そのTシャツをきっかけに『街のサンシャインマンを探せ』っていう企画を立ち上げてTシャツを着てもらうようになったかな。それが最初のきっかけ。
今の『You are the MAN of the year sunshineman project』は、1年間の中で僕が勝手に最も影響を受けた男を表彰する企画になってるよ。

僕が勝手に最も影響を受けた男、ですか。
サンシャインマンは、ヒデさんじゃないんですね。

そう。あくまでサンシャインマンは、“僕が影響を受けた男”。しかも勝手にね。
あなたこそが、僕が選ぶ今年のサンシャインです、っていう。
僕は子どもの頃から表彰を受けることがなかったから、それを受ける機会があったら嬉しいかなという気持ちもあってね。

―この取材を通して、人を想い・人を応援することで、ヒデさん自身が応援され・生きる喜びを感じるという循環を楽しんでいらっしゃるんだなと感じた。

世界を目指して、もっと“頑張らなきゃいけない”

「人の喜びが自分の喜び」とおっしゃるヒデさん。
そんなヒデさんは、今もなお“世界”を視野に入れて挑戦中だという。
そんな挑戦への想いや展望を伺った。

ごまで世界を平和に

みかんちゃん

今は“なかつ胡麻人”としての活動もされていますけど、きっかけは何だったんですか?

なかつ胡麻人とは:ごま専門店「ふかほり」の販売代理店

ヒデさん

僕がごま屋さんになったきっかけは、今思えば嫁やったかな

当時、嫁がアトピーなので、お味噌とか玄米とか醤油とか、食べるものにはすごくこだわってたんよ。
その中の一つが「ふかほり」のごまで、食卓でよく食べてた。
嫁は看護師学校の先生をしていて、「食事で身体が変わること」「自身の食事制限の経験」についてを講演会してほしいと頼まれて、ある“食にこだわるスーパー”で講演会をしたりしてたんよ。

そんなご縁で嫁と深堀さんは繋がってたんやけど、ちょうど僕が当時やってた仕事を辞めたときに「ごま食べたかったら、今ちょうど社長が百貨店に来てるから、自分で買いに行ってきたら?」って言われたから買いにいったんよね。
そこで社長に「ご主人、なんでこんな平日の昼間にごま買いに来れんの」って言われて仕事辞めたこと話したら「じゃあ一回、セサミマイスターの資格取ってみる?」って言われて。

おお、急な展開ですね!

正直50歳過ぎて知らんところで働くより、知ってるところがいいかなと思ってたから、それならセサミマイスターの資格を取ろうと思って。
そこで2日間の講座があったんやけど、最初の1時間で深堀さんは“ごまと世界平和”っていう話をずっとしてはって
それ聞いて「めっちゃおもろい!そういうの俺めっちゃ好きや!」と思ってな。
今までいろんな仕事をしてきたけど、僕の仕事が末端でもいいんで、世界の祭典や誰かの幸せにつながってますようにと思って、仕事を選んできたなーって今は思ってんねん。

今はごまの販売を通して、世界の祭典・誰かの幸せに貢献しているヒデさん

世界の祭典に繋がってますように、って、いいですね。
今は“ごまで世界平和”をヒデさん自身も体現しようとされてるんですか?

今度ね、7月に札幌大丸まで行ってきます。
元々社長に仕事の依頼があったんやけど、大阪・高槻の百貨店で今年の2月まで『ごまふる』っていうお店を『なかつ胡麻人』のメンバーでお手伝いしてた経験があったんやけど、その時の働きぶりを見てもらえてたんやろうね。
今回のお仕事を任せてもらうことになって

それはいい一歩ですね!たしか、台湾進出も狙ってらっしゃるとか…?

そう。次は台湾やな。日本食レストランの店頭でやるとか、ラーメン屋さんとコラボするとか考えてて、台湾の仲間がいるからどう進めようかって作戦練ってるところ。
商品を売るのも大事やけど、それよりも「ごまってこんなに香りが違うんや!」という感動と、僕らの杵臼スタイルを伝えたいなって思ってる。

たしかに、ふかほりのごまの良いところは、めちゃくちゃ香りが良いところですもんね。

せっかく行くなら、今の活動メインであるマルシェ出店を台湾でもやりたいなって思ったりしてるし、どうするかはまだ未定が多いけど、進めたいなという気持ちだけはしっかりあるよ。
せっかく“仲間でやろう!”ってなってるし、しっかりやり遂げたいなと思ってる。
台湾が終わりではないんでね。ある意味そこがスタートになる可能性があるから。

なかつを“手話のまち”にし、万博へ

みかんちゃん

ヒデさんはごまだけじゃなく、手話の活動もされてますよね?
きっかけは何だったんですか?

ヒデさん

最初のきっかけは、僕が働いてたカフェやったね

僕がごま屋さんで働く前、『カンテグランデ』っていうカフェレストランで働いててん。
ここは僕にとって青春のお店というか、カルチャーやったわ。
チャイ提供先駆けの店、アジアンカフェの走りやし、ウルフルズの結成の地で。

すごいカフェですね!そんな場所で働かれてたんですか!

その頃お店は創業50年で、チャイの先駆けとして知られていたけど、その頃にはチャイなんてどこでも飲めるようになってたし、大変な時期やった。
中津は、このお店の名物であるカレーの激戦区でもあったしね。
それでもこの看板でもう一回行列のできる店にしたいって思って『NAKATSU SOUND EXPO』っていう音楽イベントを始めたんよ。
お店も大好きやったけど、この街が大好きやったから、音楽で人が集まり、人がつながり、その先にお店も街も元気になっていく景色を、本気でつくりたかったんよね。

音楽イベントですか!面白そう!

中津リバリュープロジェクト』を立ち上げて大阪万博を目標に動き出してたんやけど、そこでライブさせてくれって言い出したのが手話エンターテイメント発信団『OiOi(オイオイ)』やった。これが運命の出会いやったんよ。

音楽と手話…?イメージがつかないですね…

そう。僕らも意味不明やった。
だって耳が聞こえない人が音楽ライブに出るってどういうこと?って感じやろ。
だから、最初の頃は「出たいです」って言われても「ほんまにお客さん来るん?」って半信半疑やった。
そしたらその人たちは、ほんまにお客さん集めてきて、しっかり満席にしてきたんよ。
僕らの思い込みが一気にひっくり返った瞬間やったわ。
それで僕は感銘を受けて、彼らと万博の景色が見たいと思ったんや。

手話で音楽イベントを満席にした『OiOi』さんとヒデさん

手話エンターテイメント集団『OiOi』の当時の活動について
2016年に活動スタート。当時は地域のお祭りや小学校などでパフォーマンスをすることが多かった。
そこでコツコツとファンを作って、2019年11月の『NAKATSU SOUND EXPO』を満席に。
その結果に、ヒデさんは感銘を受けたという。

手話パフォーマンスで万博…!

それで彼らと、手話『ダイジョーブ音頭』っていう曲を作って世に出すことにしたんよ。
完成まで4年かかったけど、聞こえる人も、聞こえない人も、同じ輪の中で一緒に踊れるような工夫を盛りだくさんに詰め込んで育ててきた。
そうやって活動を共にしていたら、2025年5月1日に、大阪万博のステージについに上がれたんよ。

ヒデさんと『OiOi』さんの『ダイジョーブ音頭』が会場に響き渡った。

すごい…!夢が叶いましたね…!

もうね、ほんまに感動したよ。
彼らのおかげで、なかつの街で『なかつ手話クラブ』が生まれて、“手話のまち・なかつ”を目指す活動を始められたし、それ以上に僕自身が忘れられないほどの感銘を受けた。
あの時間は間違いなく、僕の人生の宝物やな。

ヒデさんが、こんなにも頑張る理由

みかんちゃん

それにしても、なんでヒデさんはこんなに人のために頑張れるんですか?

ヒデさん

それはな、僕、無一文になったことがあるねん

氷屋さんで働いていた、当時30歳くらいの頃。
結婚して1年目とかで、結婚資金やらご両親からいただいたお祝いのお金やらを銀行に入れてて「これから頑張ろう」っていう時期やったんやけど。
氷屋さんで配達しているほんの5分の間に車上荒らしにあって、財布も通帳も全部盗られてしもうて。

ええっ!?車上荒らしですか!?

それでお金も全部取られてしもうて、家に帰る鍵もなくなったから、嫁が働いていた職場へ行って鍵を借りた。
そのとき嫁の財布にあったのはたった2,000円。全財産やで。
途方に暮れた僕に奥さんはすごいこと言ったんや。

え、なんですか!?

「2,000円スタートやったらおもんないから、今から鳥貴族行って飲みに行って0円スタートにしよか!」って。
そう言ってくれる奥さんに救われて、僕、鳥貴族で泣いて土下座したわ。

奥さん、男前ですね…!

ほんまにすごい人やで。
自分を受け入れてくれて一緒に笑ってくれる人がいると、こんなに強いんやなって。
だから僕は、なんとかして稼ごうとずっと頑張ってるんやと思う。
未だに、あの時なくした貯金額に達してなくて、それが僕の原動力になってる。

本当に。素敵な奥さんに出会えましたね。

うん。それに、僕は仲間にも恵まれてる。
人のためにって言いながら自分のために頑張ってるのに、しっかり付いてきてくれる人がいるし、その人たちがいるから僕は頑張れる。
だから僕は、世界を目指して“頑張らなきゃいけない”んよね。
若い頃、社長に怒られたあの言葉を思い出して。

今まさに、挑戦中の人へ

みかんちゃん

この記事を読んでくれた読者の方で、“何かをやり遂げたいけどうまくいかない”と感じている方へ何かメッセージをいただけますか?

ヒデさん

必ず誰かが見てる、かな。

焦らず、腐らず、諦めず、コツコツと続けてたらちゃんと誰かが見ててくれるよって。
実際僕がそうなんよ。
僕が毎日書いてるブログを、密かに見て応援してくれる人がいてな。
しかもその人、僕が『カンテグランデ』で働いてた時に「坂本君は真面目やからおもんないねん」って言って、僕に刺激をくれるようなオーナーやった。

面白い方ですね。

で、カンテグランデも辞めた後のある時、彼に「なかつに住みたいんやけど家賃が高くて住めへん」って相談したんよ。
そしたら「長屋やったら、今空いてるで」って言ってくれて、住みやすく改装までしてくれて。

ええ!?それはすごい…!

だから僕は、ちゃんと見てくれてる人はいると思ってる。
コツコツ人のために頑張ってたら、人のご縁にも恵まれる。
だから、まっすぐと世のため人のためにがんばってたら、良いことあると思うで。

結婚当初 開催できなかった結婚式も、事情を知った仲間が最近主催してくれたという。

―今まさに挑戦中でもあるヒデさん。今後の活躍も、楽しみだ!

サンシャインマン企画・坂本秀和さん

なかつ胡麻人 Instagram

坂本秀和さん Instagram

坂本秀和さん note

手話「ダイジョーブ音頭」

サンシャインマン企画・坂本秀和さん

なかつ胡麻人 Instagram

坂本秀和さん Instagram

坂本秀和さん note

手話「ダイジョーブ音頭」

\ なかつ胡麻人が届ける 杵臼つきたて胡麻 /

なかつ胡麻人が届ける

\ 杵臼つきたて胡麻 /

私みかんも大好きで、毎朝食べてます。私は出汁塩と胡麻をご飯にかけていただいてます!

1袋 540円 / 3袋 1,500円

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この記事を書いた人

好奇心旺盛のみかんちゃん。
挑戦する人を応援するドキュメンタリーメディア「未完ログ」の編集者でありインタビュアー。
実はウェブ解析士だけど、解析に苦手意識のあるおっちょこちょいさん。

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